東海道新幹線の功績は、斜陽産業といわれていた、鉄道を成長産業に、変えたことです。そして世界中の国々が、自国の鉄道を見直すきっかけを作りました。私は自称、鉄道ファンのライターです。鉄道についての記事を書きたいがために、ライター 求人に応募して、ライターとなりました。私が今まで培った知識と情報をライティングして、ここに公開しています。
それで戦後、世の中が落ち着いてきて、人や、物の流れが、活発のなって来ると、国鉄(JRの前身でいまのJRを全国一社で管理していました)の内部で、近い将来、東海道線が要求される輸送量は、その持っている輸送力を超えてしまうだろうと、予測されました。その対応策として、浮かびあがったのが、全く新しい鉄道を建設することでした。その鉄道は最高速度をその当時の二倍以上の、時速200キロで走って、東京―大阪間を、3時間で結ぶという構想でした。
これを聞いた人々は、ビックリし、反対意見が多数を占めました。もう鉄道は斜陽産業だということが、言われ始めていました。これからは、陸上の交通機関は、航空機であり、自動車であるというのが、世間一般の、常識になりつつあった、時代でした。もう一つ、お金のこともありました。国鉄では、この反対意見を説得して、どのような方法をとって、着工にこぎつけたのか、この辺から、話を始めます。
次に、この成功をもたらした、技術は、眼あたらしいものではなく、完成された技術でした。それは軌間(左右の線路の間隔)を広軌にし、車両に電車を採用したことです。
鉄道は、経験産業ともいわれます。列車が時速200キロで走ったら、どんなことが、起きるか、誰にとっても、未知の世界です。例えばホーム立って、列車の到着を待っている人が、時速200キロで列車が通過した場合、ホームの先端から、どの位離れていたら安全なのか、誰も解りませんでした。それでホームの各所に柱を立て、この柱に国鉄職員を縛り付け、実際にその目の前を、時速200キロで、列車を通過させ、実験終了後、被験者になった職員から、感想を聞いて、ホームの諸設備の設計の資料にしました。
このように試験できることは、試験をして実施に移しますが。それでも想定外の事態が発生します。この一つとして、「関ヶ原の雪」が開通後、ダイヤを混乱させました。
その後、東海道新幹線を計画した頃の、新幹線の役割と、現在新幹線に求められる役割が、輸送力増強から、早く目的地に着けるという速達性に変わってしまいました。その結果、東海道新幹線計画時には、予想していなかった事態が、その後に新幹線が開業した地域で生じています。それは、在来線の経営が困難になる地域が発生したのでした。
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